音にフォーカスしない音楽
大きくもない小さくもない街、バーにいけば知り合いが、クラブにいけば知り合いが、という狭いコミュニティーに慣れ親しんだ私にとってロンドンは大都会だ。
自然があるかないかの問題ではない。人口の問題でもないと思う。
少し人種の問題はあるかな。
毎週、毎日、様々なことが起き、どこかで新しい感覚や感性が生まれている。
その反面、この一瞬で沢山のネガティブなことが起きているかも知れない。
そして、そのネガティブからまた、新たなものが生まれてくるのだろう。
複雑に、可能性を匂わす。
時の流れが早い。先週の楽しい出来事も、悲しい思いさえも、新しい刺激でとうの昔のことのよう。
悲しくも、仕方ない。
今回の渡英も早いもので、もう8ヶ月経った。
私は何も変わっていない。
語学もたいして進歩してなければ、思考回路、顔つき、夢も未だ模索している。
一つ変わったといえることは、音楽の幅かも知れない。
英国は不思議な程、生活と音楽が密接している。お金がなくても、音楽が聞こえてくる。
友人との会話も‘音楽’が必ず加わり、お互いの趣味を交換しておけば、新たな情報がもらえたりする。
物価が高く、天気の悪いこの国で、救いは音楽だったのかも知れない。
複雑な時代、音楽が感情のツールとして発達・派生し、人々は発達していく音楽を聴きに足を運ぶ 、ということが、インターネットのなかった時代のアンダーグラウンドカルチャーとして確立し、今に至るのではないか 。
時代はまだ複雑なまま。
政治も、思考も、思想も複雑さを増している。
英国の音楽は、未だ勢力的、実験的に発達・派生を続けている。
私は、長い英国音楽の歴史の真ん中にいるのかも知れない。